新渡戸的発想~情と理の分離~

今(2019年)の日本人の考え方に疑問を持ち始めた22歳です。若造の戯言だと思って”批判的に”読んでください。

「議論」と「感情のぶつけ合い」の違い

議論とは?

最近の日本人のおかしさの一つが「議論」できていないことだと感じている。

 

誰しも学校や会社で議論することが大事だと教わっているし、議論した経験は当然あると思う。

 

では、議論とはいったい何か説明できる人がどれくらいいるだろうかと不安になる。

 

議論とは、

【あるテーマに対して各自が「思ったこと・感じたこと」を「意見」として提示し、それをまとめて「結論」を提示する】

ことである。

 

この内容は正しいだろうか?

読み進める前に一度考えてみてほしい。

 

 

もし正しいと感じたならば…

僕は相当危険だと思っている。

肌感覚だが今の日本人の90%は「正しい」と言ってしまいそうだ。

 

 

では真の意味での「議論」とは何だろうか?

もちろん正解なんてものはないし、状況に応じて変わるものだし、各自で「正解」は決めてもらうしかないのだが、

僕の考える「議論」の定義を示したいと思う。

 

議論とは、

〖与えられた時間内で、設定された「ゴール」の達成を全員が目指し、「アイデア」を出しあいながら、「ゴールに最も近づくアクション」を選択する〗

ことである。

 

この文章だけみるとよくあるビジネス書の引用みたいだ(笑)

 

僕の考えの前提には、

『「議論」を行うことで「チームの状況」が改善されないのならば、その「議論」は行う必要がない』

という、当たり前といえば当たり前のことがある。

 

またその前提としては

『「議論」に参加している人間は全員「自分の損得」ではなく「チームの損得」について考えている』

ということがある。

 

これをもう少し具体化すると、

会議中に少し個人的にイラっとすることを言われたとしても、「この人もチームのためを思って発言してくれているはずだ」と考え、その発言の真意を探ろうとする

みたいなスタンスにつながると思う。

 

つまり、「議論」するためには、個人的な感情を一旦横に置いておく必要があるのだ。

 

一旦、ここで締めます。

続きはまた後日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログはじめます。

みなさんはじめまして。

 

深夜にブログを開設しようと思い立った22歳の若造です(笑)。

 

さて、このブログで主に僕が書きたいと思っていることは

 

「’僕が書きたい!’と思ったこと」です!!

 

は? ?(笑)

 

まあ当然ちゃ当然ですね…

 

シンプルに書きたいから書くって感じです。

 

ただ、もちろん僕が言いたいことをテキトーに書くだけでは単なる暇つぶしなので、

一応テーマは決めておきます。

 

それは、ひとことで言うと…

 

「情と理の分離」です!!

 

は????

 

って感じですよね…

それで全く問題ないと思います(笑)

 

でも僕が22年間日本で生きてきて常に感じてきた’おかしさ’はこの言葉で90%くらい解決できるんじゃないのかな~って思ってます(笑)。

 

実のところ自分の中で思想が完全に固まってるわけではないのですが、

まあその辺も含めてみなさんと一緒に考えていきたいという所存です!!

 

では、何年間?何か月間?続くのか分かりませんがよろしくお願いします!!